「おじさん、それはルンちゃんだよ!」

広い庭の隅っこで植木の手入れをしていた須藤さんのおじさんは、背後からの幼い声に驚いた様子で振り向いた。
そこには低い目線からジッと見上げる、まだ幼い我が弟の姿があった。
隣に住む須藤さんの庭に またいつのまに入り込んでいるのやら、弟はいつしか境界線になっている垣根の茂みを掻き分け、その中で堂々と遊ぶようになっていた。

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Photo By Happy*Riko

“ルンちゃん”とは、うちの家族にしか解らない言葉で、アゲハ蝶の幼虫、つまりアオムシのことをいう。
我家ではよくサンショウの枝にひっそり止まっている黒や黄緑色のアゲハの子“ルンちゃん”を見つけるたびに木の枝ごと家の中へ連れ帰り、サナギになって瑞々しい蝶に変身するまで育てた後、窓からヒラヒラ旅立たせていた。
アゲハ蝶は幼虫の時期に蜂の仲間の卵を背中に産み付けられたまま育ち、サナギの間に殻の中で生まれた蜂の子に食べられてしまっていることがよくあるからだった。
自然の流れを考えると それは人間の勝手で余計な保護だったのかもしれないが、うちでは数少なくなってきたアゲハを守ろうと、毎年ルンちゃんの姿を見つけるたびに そうして大切にかくまってやっていた。


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そんな事とは知らないおじさんにとって、庭のサンショウやミカン、カラタチの葉を喰い尽くすこのアオムシはワケのわからない害虫だ。
葉陰に隠れているルンちゃんを見つけては一匹一匹つまみ上げ、バンバンとゴム長靴の底で踏み潰しているところを昆虫好きの男児に目撃されてしまった。
弟のたどたどしい説明と甲高い声での必死の抗議の末、やっとわけがわかってきたおじさん。
「そうか、アゲハ蝶のルンちゃんかい。それはまったく知らなかったよ…ごめんねぇ。」
おじさんは太い黒ぶちメガネの奥の目を細め、コントラバスみたいに低く響くいい声で、参ったなぁというように笑いながら、小さい弟にペコペコとしきりに謝っていた。


その当時、うちは須藤さんの敷地の隣に家を建て、引越してきたばかりだった。
引越したといっても、前に住んでいた家の裏がすぐそばに見えるほど近所への引越しだった。
道路が一本違う、裏隣り近くに越したと言ったほうがいいのかもしれない。
幼児にとって新居は路地が一本違うだけでも新鮮な別世界だ。
とにかく我家が須藤さんの真隣に来てからは、ほぼ毎日のように弟は隣の庭へと勝手に潜り込んでいくようになった。
私は少しお姉ちゃんだったので、最初のうちは他人の敷地に勝手に入ることに ちょっと躊躇していた。
しかし内心は、何も悪びれずにチョロチョロ入っていける幼い弟がすごく羨ましかったのだ。
「勝手によそのうちに入っちゃダメだよ。怒られるよっ。」
弟に姉らしくそう言ってはいたけれど、ついに自分も我慢ができなくなり、いつしか弟に便乗してその敷地へと一緒に侵入していくようになった。
その庭というのは、いかにも面白そうで はしゃぎ回りたくなるような、ちょっとした雑木林ほどもある大きな面積だったからなのだ。

Photo By Iraka
須藤さんの庭は、ほんとうに広くて楽しかった。
きっと十数軒もの住宅を建てられるぐらいの広さではないだろうか。
中規模なマンションの1棟ぐらいなら余裕で建てられるだろう。
でも須藤さんはそこで畑をやったり月極駐車場を持っていたり、アパートを建てて人に貸したりするような地主さんらしい事業はしていなかった。
たしか鉄道会社を定年退職し、好きな庭いじりをして過ごす年配夫婦と、すでに成人した二人のお兄さんの4人で暮らす、もの静かで温かそうな家庭だった。
その一家の四角い大きな敷地の端っこに、平屋のかなり古い家が建っていて、その家の横には金網で手作りされた十数畳ほどの広さの囲いがあり、中にはフジコと名づけられた黒い甲斐犬という種類のメス犬が飼われていた。
フジコはめったに吠えることもなく大人しい甘えん坊だったが、鼻の頭が桃色に禿げていて、とりたてて器量の良い犬ではなかった…と思う。
でも、おばさんはよく「美人なイヌでしょう?」と笑いながら言っていた。
私が「どうしてフジコっていう名前なの?」と聞いたら、「ヤマモトフジコに似てるから」という答えが帰ってきたが、私はその人物が誰なのか知らなかった。
家で母に聞いたら昔の女優のことだと言って、なぜか長いこと大笑いしていた。


須藤さんの広い庭には、いつもどこかで庭いじりをするおじさんの姿があった。
おじさんは弟と私がしばしば侵入するようになった時、どこの子が入ってきたのか判らなくて ちょっと不思議そうな顔をしていたけれど、ほとんど何も言わず私たちの好きなように放っておいてくれた。
都合の良い解釈だが、まるで孫が庭に来て遊んでいるような風景だったかもしれない。
そのうち私たちは無口なおじさんにすっかり甘え、特に何事にも興味津々の弟は、いちいちおじさんの後をついてまわり、盆栽の植え替えや剪定、焚き火などの作業をするおじさんの その手つきを助手のように傍らでジィッと食い入るように見ている毎日になった。
うちの家族は そんな弟の様子を見ては“金魚のフン”だと言ったり、“弟子入りした”と言ったり、おじさんがそのまま小さくなったように豆々しく、なんでも真似して行動しているので“マメおじさん”などと言ったりもして笑っていた。

須藤さんの庭は、新興住宅地で見かけるような鮮やかな園芸種の花壇が広がる明るい洋風の庭などではなかった。
どちらかというと地味な花や実をつける和風の古木が多く、きっちりと並べたりせずに自然な雰囲気で まばらに植えてあった。
私たちはいつも須藤さんの庭でいろいろな四季を感じた。
早春にはボコボコと、庭の隅にふきのとうがたくさん顔を覗かせていた。
もっと本格的に温かくなると、風のなかに沈丁花やカラタチの甘く涼しげな香りがスーッと漂っていた。
巨木の梅や桃は毎年見事な花をつけて梅園のごとく楽しませてくれたし、それらが白い産毛に包まれた青い実を結ぶ頃には、竹竿でつつき落として遊びながら籠一杯になるほどの収穫を手伝わせてもらったものだ。
真夏は何種類もの蝉の声が競うようにたくさん重なりあって響いた。
日が暮れればそれはクツワムシたちの輪唱に変わり、ガチャガチャとうるさくて眠れないほど大合唱だった。
私たちはモグラが盛り上げた黒土の山をほじくってみたり、砂の多い倉庫の日陰では蟻地獄の巣もたくさんみつけて、蟻を一匹一匹つまんできては わざと巣穴へ落とし、ピクピク這い出てくる蟻地獄の反応を、息を呑んで観察したりもした。
樹皮をめくった下や葉っぱの裏、腐葉土で覆われた地面には他にもいろんな生物が棲んでいて、彼らは手のひらに捕まえたり逃がしたりさせてくれながら私たち子供と共に遊んでくれた。



Photo By Icchiy
台風がやってきて強風がうなれば樹齢百年余りの欅[けやき]たちも次々と梢をうねらせ、ザザーッ ザザザーッと大量の枝葉を一晩中鳴らし続け“庭の主”を争うごとく その貫禄を知らしめてくれた。
落葉のシーズンは暖色系の織り成す軽やかで厚い枯葉の絨毯を、贅沢にジャラジャラ蹴散らしながら、楽しくて嬉しくて、広い庭をキャッキャと走り周った。
厳冬の頃はいつも古井戸を埋めた小さな池に厚い氷がはっているから、その丸い形のままに凍った一枚板の氷を取りはずしたくて、冷たい氷のふちに木の棒を挿し入れてエイッと持ち上げてみた。なんと重たいことか。
氷の中には赤茶色に枯れて縮んだモミジの葉がいくつも閉じ込められていた。
私はそれを“モミジの寒天”と呼んでいた。
吐息が輝く白い朝には、陽だまりの中、隅っこの濡れた切り株から水蒸気がゆらりと立ち昇る幻想的な美しさに、ただじっと見とれ続けていたこともあった。
この庭にやってくる全ての季節は、私たちにとって楽しく美しく目に映るものばかりで溢れていた。
そこに見える何もかもが いくらでも遊びの材料になるのだ。


そうやって私たち兄弟は、この隣の庭で少しずつ大きくなっていった。
もちろん我家の小さな庭でも遊んだが、幼い頃の庭遊びの大半はこの自然豊かな大きい庭と、温かいおじさん一家に優しく見守られ、のびのびと好きなだけ自由にさせてもらっていた。

そして長い時が過ぎ、私たちは いつの間にかあの庭から卒業し、それぞれが忙しい大人になっていった。
あんなに遊んだ隣の庭へ再び足を踏み入れることは、もう無いのだろう。
庭じゅうを毎日歩き回っていたおじさんは、今はもういない。
美人で甘えん坊のフジコも、もういない。
おじさんはモノクロ写真のなかで、あの黒ぶちのメガネごしにちょっと笑ってこっちを見ているだけだ。
須藤さんの愛した庭は売りに出され、今は大学教授の一家がやってきて優雅に暮らしている。
あの古い家は立派に建て替えられ、庭木は全て切り倒され、刈られ、日当たりが すこぶる良くなった新しい庭はガランと見通し良く、蒼々と手入れされた芝生だけが広々敷き詰められている。
幼いお孫さんたちの小さな手が代わるがわるブランコを揺らし、大型犬が嬉しそうにキュンキュンと鼻を鳴らして甘えている様子が高く仕切られたフェンス越しに伝わってくる。
季節は流れていて、時代は変わってゆく。きっとあたりまえのことなんだろう。

Photo By Pal*mama


だけど、私たちは忘れない。
あのおじさんに、いつか たった一つだけ教えてあげられたものがあったということを。
そして おじさんから私たちには、いっぱいいっぱい教えてもらったものがあったということを。
地味で、無口で、多くを語ろうとしないおじさんと、さまざまなものたちが息づいていたあの広い庭から、私たちはたくさんのことを無言で教えてもらっていたのだ。
あの日覚えた全ての生命(いのち)には どれ一つにも無駄がなく有意義で、キラキラした泡のように美しく誕生しては揺れたり膨らんだりしながら漂って過ごしていた。
そしてそれらは、いつしかみな刹那に消えていったけれど、また新しい命は次々と芽生え、すべては偉大で神秘的な流れの繰り返しのなかにあるということを あの庭で感じ、教わった。
そしてそれを思うとき、この世の全てが美しく せつなく映るけれど、せつない感情を抱きしめて痛々しく思い生きることこそが、ヒトにとって最もヒトらしく、尊いことではないかと思える…そんな喜びも、また教えてくれたと気づくのだ。


[2007年3月 記]



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